25期 北アルプス剣岳山行記  その3

 

 八月三日 晴れ

  食当の前岡氏、上林氏、久住氏が五時半に起床した。ベースキャンプなので昨日の朝

 の忙しさとは対照的にのんびりしていた。ゴハンもうまく炊けた。味噌汁もひと味違います。

  午前七時、ナップザックにザイル、ハーケン、カラビナ、昼食を詰め剣岳本峰アタックに

 出かけた。我々は高校生としては日本でも珍しく長次郎谷の大雪渓を登り詰めルことにし

 た。いくら歩いても同じところを歩いているようなくらい長く大きかった。約三時間ぐらい登っ

 た時、初日から調子の悪い菊地氏がダウンした。菊地氏は我々と別れ待機することになっ

 た。菊地氏に抜けた我々の足は重かった。ガンガン照りつける太陽、だらだら流れる汗、

 のどが渇く、約三〇度の傾斜を一歩一歩カッティングしながら片手にピッケルを持って登っ

 て行く。のどがカラカラだ。呼吸が苦しい。足がだるい。「ファイト」というキャプテンの声、自

 分に言い聞かせているようだ。約四時間後大雪渓との戦いが終わった。しかし、これから

 は1番危険の多い岩との戦いである。岩恐怖症の前岡氏などは泣きそうである。小休止の

 後先生を先頭にして、アタックを開始した。もろくて崩れやすい岩である。落石に注意しなく

 てはいけない。下を見ると目が回りそうである。一歩一歩細心の注意を払って着実に登っ

 ていく。緊張しているので、あまり疲労は感じなかった。

  約一時間の死闘の末、剣岳本峰登頂に成功した。長次郎谷の大雪渓を詰めての登頂

 は高校生としては日本でも珍しいことである。この感激は十割に達していた。記念写真を

 写し、標高三〇三〇メートルの空気を胸一杯に吸い込んだ。頂上で昼食をしたかったが、

 天候や菊地氏のことを考え、すぐ下山することにした。下山途中で昼食にした。名目上「ソ

 ーメン」であるが実際はソーメン同士がくっついて「うどん粉のこねたヤツ」である。普通で

 は到底食べられないが、人間飢えたら何でも食べるというのを実証するかのように、全員

 がパクツいた。食後、原因を追及したところ、小田氏が「ビックリ水」を入れ忘れ、その上茹

 ですぎであると判明した。(こんなことでは小田氏はお嫁に行けない。)帰りは、大雪渓を

 「グリセード」で滑り降りることにした。クレバス(雪の割れ目)に落ちる危険があったので

 一〇メーター間隔で滑り降りることにした。でも藤岡氏、前岡氏は、「ころがりおちる」で、

 久住氏、上林氏などは「シリセード」である。さすがに先生は本物の「グリセード」である。

 岡村氏、小田氏もかなり決まっている。四時間もかけて登った大雪渓も「グリセード」では

 一時間足らずであった。

  無事ベースキャンプにつき、夕食の用意である。前岡氏と先生は天気図をとっている。

 「石垣島、東南東の風、風力4,那覇では・・・・・・」やはり台風十九号が先生の予想通りの

 コースを進んでいる。夕食時、我々は今後の行動について論議し合った。このまま山で台

 風を経験するか、それとも危険を避けるため下山するか、二つに一つである。なかなか決

 まらないし、天気があと二、三日もちそうなので明日の天気図で決めることになった。

  夕食後、上林氏が大浜の夜市で買ってきた花火をセーターとヤッケを着てぶるぶる震

 えながら楽しんだ。それに今日で山に入って三日目。全員ムラムラッとした気分が流れ、

 日頃人前で歌えない歌を大合唱すると、その歌の歌詞がいいのか他のテントから拍手の

 渦である。気をよくした久住氏が調子に乗って、「都はるみのアンコ椿は恋の花」を歌うと

 今度はよそのテントから石を投げられ重症・・・・・・。

 さあ、今夜もがんばろうッ。

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