25期 北アルプス剣岳山行記  その2

 

 八月二日 晴れ

  起床午前三時(草木も起きるウシミツ時)

 藤岡市と夜を共にした前岡氏は突然寝袋から首を出して、

 曰く、「今日も元気だ、テントがハレタ!」

  朝第一にしなければならないことは、ラジウスに火をつけることである。そして、その上

 に昨夜用意しておいた雑炊(コメツブ+水+ヤサイ+マギーブイヨン)をのせ、ぐつぐつ煮

 るのである(メシタキ女を求む!)。朝食を素早くノンダあとテントを撤収して四時に出発し

 た。十分ほど歩くと雪渓だった。一時間も歩いたときだった。突然先頭の方で「ドサッ」とい

 う音と共に菊地氏が倒れた。顔は青白く、吐き気を催している。これは明らかに高山病の

 症状である。しかし先生はそうはいわなかった。「菊地、横になれ、ジキに直る。元気出せ

 !」また、久住氏も「情けないぜ、恋の病や!」と元気づけた。幸い三十分くらいで回復し

 たので、先生に荷物を交換してもらい、ナップザックで歩いた。三時間の苦しい登りの末、

 剣御前小屋に着いた。その時の喜びは入試合格発表で自分の名前を見つけたときの感

 激の八割に迫るものであった。「ながめ」もグンバツで、白馬、唐松、立山、薬師そして槍

 ヶ岳も見ることができた。そして一時間あまりも、休憩といううれしい話になった。思う存分

 「立しょん」ができた。(湯気が立った)ここの小屋ではファンタが一七〇円である。

  ここでも先生は本性をむき出しにして、女の人に手取り足取りあそことりで、山の説明

 をなさっている。八時にここをで、四〇分の下りで、剱沢小屋(ここで登山者カードを提出)

 を通過し、大雪渓に突入した。ここからベースキャンプに予定している真砂沢まで約一時

 間くらい下るのである。(せっかく登ったのにもったいない話である。)三十キロのリュック

 を背負い、その上ガンガン照りなので、全員バテバテ、ど根性を振り絞り、十時やっと真

 砂沢着、このときの感激は九割に迫っていた。息つく暇もなく、設営である。小田氏、菊地

 氏は食事の用意、岡村氏、藤岡氏、上林氏、久住氏はテント張りである。四晩も過ごすの

 だから、土も平らに耕し、草も敷き詰めて高級ホテルのベッド並みにした。

  午後から雪上での「滑落停止」(スリップ御用心)の練習である。三〇度ぐらいの傾斜で

 あるが上から見ると、八〇度ぐらいに見えてとてもおっかない。まずは先生の見本。ズズ

 ーと滑ってピッケルをぐっと雪に差し込む。雪煙が上がり、〇、八秒で止まった。実に鮮や

 かである。全員、感嘆の声「止まったぞナモシ。」先生曰く「あったりメーだナ。」拍手が乱

 れ飛んだ。次は僕たちの番だ。なんといっても裕福な家庭に育った前岡氏、上林氏はうま

 くない。それに引き替え、久住氏、岡村氏などは命を粗末にしていた。先生は調子に乗っ

 てむちゃくちゃなことをやらす。仰向けで滑ったり、頭から滑ったり、超ウルトラC級のこと

 をやらす。部員達は耐えた。先生の命令は天皇陛下の命令と思って、何一つ逆らわなか

 った。「グリセード」(スキーを履かないで滑るスキー)の練習もやった。ピッケル一つに命を

 かけるのである。ボーゲン、クリスチャニヤ、パラレル、ウェーデルンと見事にこなす。三

 時半に練習を終え、ずぶ濡れになった衣類を干し、全員「パンいち」になった(先生はクラ

 シック)。

  それからキャンプ地を整理し、夕食の取りかかった。雪渓に穴を掘り冷蔵庫を作った。

 気象係の前岡氏は先生と共に四時の気象通報を聞き、天気図をとった。あな、恐ろしや、

 台風十九号が九州に接近しているのだ。先生の予想では八月七日、日本海より富山地

 方へおそってくるということだ。そこで我々は計画を変更して、明日剣岳本峰へのアタック

 を行うことになった。

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