25期 北アルプス剣岳山行記  その5

 

 八月五日 晴れ

  起床午前二時、もちろん右も左も真っ暗闇じゃござんせんか。夕べ作っておいた味噌汁

 雑炊を飲み終え、テントを撤収し、三時三〇分真砂沢を出発した。剱沢の雪渓は氷化し

 ていた。アイゼンのグサッグサッという音と、我々のハァハァという荒い息が山にこだます

 る。耳が痛いくらい空気が冷たいのに汗がだらだら出る。氷化した雪渓を一歩一歩登っ

 て行く。約二時間の登りで剱沢小屋についた。ぼつぼつ台風十九号の影響で風がきつく

 なってきた。リュックごと飛ばされそうだ。五時にファンタを一七〇円で売っている剣御前

 小屋に着いた。

  幸い雨が降っていなかったので、室堂へは下りず、大日連峰を縦走することにした。

 三国丘山岳部は、台風の時でもより多くの山に登るという山きちがいの集まりである。

 道は割合平坦、それに身内だけのことなので春歌など一発歌いたい所だが、先生はハイ

 ピッチで飛ばす。ほって行かれないように歩くのが精一杯。景色なんぞは夢のうち。

 時折、突風に襲われ谷底へ真っ逆さまに落ちそうになる。

  八時一五分、奥大日岳着。ここから見る剣岳南西面の岩肌は、「すごい」の一言である。

 ビスケットと紅茶の昼食?となった。出発直前、不慮の事故で先生のめがねが割れた。

 先生がエンエン泣いてだだをこねたのであやすのに苦労した。ハイマツとお花畑の稜線を

 ハイピッチで飛ばした。途中雷鳥がまとめて四羽も出現し、危うく我々の食料となる所だっ

 た。また上林氏はリュックにつけていた土鍋が突風のため舞い上がり、それで頭を打って

 賢くなった。

  一〇時半、大日小屋着。そこに荷物を置いてカラ身で大日岳を往復。頂上から見る薬

 師岳はグンバツである。もうここからは後「下り」ばかりである。とはいっても七〇〇メートル

 を一気に下るのであるが。下りもこれくらいのスケールになると登り以上に応え、腰がガク

 ガクになる。二〇分くらい歩いたとき、先生とダジャレコンクールをやっていた久住氏が石に

 つまずき谷底へ真っ逆さま。もうダメだと思ったが、残念ながらリュックが木に引っかかり

 一命を取り留めた。

  二時、大日平着。強風の中でビスケットとスカッシュで二度目の昼食をとった。歩き始めて

 一〇時間さすがに全員グタグタ。ここで岡村氏曰く「先生、八時間以上歩いたら労働基準法

 違反ですよ。」疲労で興奮気味の上にこの言葉である。岡村氏がリンチを受けたのは言うま

 でもない。一五分の小休止の後またもや下りである。強烈な太陽光線とだらだら流れる汗

 のため肌がひりひりする。でもあと少しで下界だ。最後の力と根性を振り絞って歩いた。

  そして一時間後、ついに称名の滝着。全員涙を流して喜んだ。無事下山を祝って三五〇

 メートルの日本一の大滝(那智の滝一一五メートル)の前でソーダで乾杯した。このソーダ

 の味はいつまでも忘れないだろう。ここから自動車道路を約一〇キロ。二時間で「立山駅」

 着。ついにやった。普通の人なら空身の二日、延べ十六時間はかかるコースを、十三時間

 ぶっ続けて歩き、たった一日で征服したのだ。全員疲労でぐったりしていた。菊地氏は両か

 かとの血豆をつぶし、靴下を真っ赤に染めた。久住氏、小田氏は横三センチ縦一センチの

 豆二つ、上林氏、前岡氏、藤岡氏は両踵に横一センチ縦一センチの豆を作り、びっこを引

 いていた。でも、みんなの顔には満足げなほほえみが浮かんでいた。ーーーーーーー完。

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